今回は、目標シートのプロセス欄について考えてみようと思う。毎回、私見・持論に満ち満ちていることは承知の上だが、本コラムは少し尖った考えに触れて、読む方の思考が活性化されればよいと思っているので、ご了承を。
今、多くの企業で導入されている目標管理制度、その運用に欠かせない目標シートは、どの企業にも共通している部分と、企業独自の工夫がされている部分がある。その中でも、目標達成までのプロセス(行動計画やアクションプランといった表現もあるようだ)を記入する欄を設けている企業は少なくない。
一般的に、世の中の製品やサービスの初期モデルは、最低限必要な機能が搭載されていることが多い。その後モデルチェンジを繰り返すごとに機能が追加されていき、機能の取捨選択が行われながらモデル末期には本当に必要な機能だけが残り、成熟・洗練された製品となる。
目標管理制度の導入が一気に進んだのは90年代の日本経済低迷期。企業が、年齢や勤続年数基準の人件費自動膨張を孕んだ人事制度を改定する取り組みの中で、当時注目されたコンピテンシーと合わせて導入された仕組みでもある。
導入時のモデル初期の目標管理制度はシンプルだったと私は思う。その後、活用の中で改良が加えられ、企業によっては実に多くの機能が搭載されている。そのひとつがプロセス記入欄なのだが、この欄はモデル末期まで残りつづける本当に必要な機能なのだろうかと感じるときがある。
「期初に計画したプロセスに沿って商談を進めてきたけど、突然のお客さまの都合で商談がなくなり目標が未達に終わった。プロセスに記入した内容はしっかりとやり遂げたから、未達ではあったが標準評価をあげたい」先日、ある企業の目標管理制度の運用検討会でのある評価者の発言。
「気持ちはわかるが未達であれば評価は下がる」別の評価者の発言。
私は後者を支持したい。本人のモチベーションが気になるようであったが、それを評点で済ませようとする行為は受け入れ難い。プロセスが素晴らしかったのであれば、上司としてしっかり見ていたこと、それが次の本人の糧になること、正しいプロセスを踏んでいれば結果の再現性も高まってくることを、“動機付けと育成責任を負う上司として”伝えるべきであって、評価という行為とは切り分けたい。
この目標管理制度、運用には現場で一定程度の負荷が発生する。さらにその負荷は、特にさまざまな業務が集中する期初・期末に発生するというやっかいな制度でもある。その負荷(経営コスト)に見合う効果(リターン)を得なければ経済合理性の低い非効率な仕組みとなってしまう。
目標管理制度によって期待したいリターンは、企業目標を連鎖展開させることで会社全体の業績をマネジメントすることと、目標設定の工夫によって本人の前向きな取り組みと成長を引き出すことだ。特に前者について、個人のプロセスが良ければ結果が伴わなくても評価される運用では、全社の事業をマネジメントする仕組みとして機能しなくなる。そういった観点でプロセスを評価対象とするのは避けたい。
では、評価の対象としないにもかかわらず、個別目標ごとに多くの労力を使って記入するこの欄はなぜあるのか。
その理由は、部下が少し背伸びした目標を掲げてそれに挑む際の、期初の上司と部下とのコミュニケーション材料としての活用にあるのだと思う。挑戦的な課題に挑むという行為は、本人の成長にとっても企業の発展にとっても重要な活動であるが、本人にとって挑戦的な目標というものは、常に不安やストレスがまとわりつく。それでも前向きな気持ちで一歩を踏み出してもらうために、世の中の多くの上司は、本人にとってどういった意味がある目標なのかということと、目標達成までの道筋を見せることに時間を割いている。
本人にとって、ゴール(目標達成)まで辿り着くための道筋が見えることは、先の見えない目標に対して一歩を踏み出す上でとても大事だ。だからプロセス欄をもとに話し合う内容は画一的にならないでほしい。目の前の被評価者本人が一歩を踏み出すためのスイッチを押す内容であってほしい。
欄があれば活用はそうであってほしいと思うが、評価の対象とならないのであれば結果的に欄は不要。何を会話すれば良いかを評価者が理解していればよい。モデル末期というのがいつ頃になるかはわからない。当然、企業によって異なる。目標管理制度は、成熟・洗練されて本当に必要な欄だけが残ることが望ましいというのが、今回の私の持論だが、皆さんはどのように考えるだろうか。