死刑囚のパラドックスは、「ある期間内に必ず出来事が起こると予告されているにもかかわらず、その時点を合理的に予測できない」という宣告が論理矛盾を生む逆説として有名です。予告されているから人は予測しようとするが、予測しようとすると成立しない。それでも、出来事は現実に起こる。
このパラドックスを思い起こすのが、評価会議と昇格会議の運用です。
多くの企業で、評価制度・等級制度・報酬制度は整備されています。評価基準も昇格要件も明文化され、運用ルールも定められている。人事も現場管理職も、真面目に制度を守っている。にもかかわらず、社員の間には「どうせ最後は会社次第」「読めない」という空気が広がっていく、、、。
評価会議や昇格会議では、こうした言葉が飛び交うのを耳にします。
「評価は高いけど、まだ早い」
「次の等級としては弱い気がする」
「将来性はあるが、今回は見送り」
要件は満たしている。しかし、最終判断は“総合的に”行われる。
この瞬間、社員にとって昇格は「条件を満たせば起こる出来事」から、「いつ起こるか分からない出来事」へと変わるのです。
ここに、人事制度運用が生み出すパラドックスがあると思うのです。
社員は昇格するにあたり、等級定義を読み込み、行動を調整する。しかし、どれだけ要件を満たしたと思っても、「今回は見送り」「総合的判断」「次の機会で」という説明が返ってくる。すると、社員は学習します。等級要件を満たすことと、昇格することは別物なのだと。
この瞬間から、等級制度は人を育てる仕組みではなく、防衛行動を生む仕組みに変わるのではないでしょうか。
役割を広げすぎない。期待値を上げない。今の等級で無難に成果を出し続ける。それは怠慢ではなく、昇格が予測不能な以上、極めて合理的な選択になっているのでしょう。
その結果、行動はどう変わるでしょうか?
挑戦は避けられる。役割を拡げて行動することには慎重になる。上司の期待を外さないことが最優先になる。
これはいわゆるモチベーションの問題ではないと思います。評価・昇格会議結果が予測不能である以上、リスクを取らないことが最も合理的だからではないでしょうか。
もう少し考えてみると、この影響を最も強く受けるのが優秀層なのかもしれません。彼らは制度を読み、ロジックを理解し、逆算する力がある。だからこそ、気づいてしまう。「頑張り方」と「報われ方」の因果がつながっていないることに。一度そう理解した人材は、静かにアクセルを緩めるか、別の環境を探し始める。
運用側から見れば、評価会議や昇格会議は必要不可欠です。かくいう私もこれまでお客様に対して強く勧めてきています。例外対応や調整も、組織運営には欠かせません。しかし、その“例外”が常態化した瞬間、制度は予告されているものであるはずなのに、そうなっていない。
評価会議・昇格会議の最大のリスクは、不公平さでだけではなく、予測可能性を壊すことも要因と言えるのではないでしょうか。人は、結果が厳しくても予測できるなら納得し、予測できない結果には身を守ることが優先されるのでは。
人事制度の運用とは、制度を補完する行為ではなく、制度の意味を最終的に落とし込む行為です。
等級・評価・報酬の設計がどれほど整っていても、運用がパラドックスを孕んでいれば、人は動きにくくなります。
経営や人事が大切にしたいのは、「正しく運用しているか」だけではなく、その運用が社員にとって予測可能であるか、ということもあるのではないでしょうか。
死刑ではなく、「昇格」と突然言われることも悪くないものですかね。最近では昇格も本人からは迷惑がられると良く聞きますが。

