コラム

COLUMN
Vol.24

期待し、信じる

2023/09/07

恩師が先日他界しました。教育行政の分野が主として教育の多方面で活躍していた人であり、まだまだやりたいことがたくさんあると言っていましたが病には勝てませんでした。
その恩師との出会いは25年前に遡ります。当時官庁に勤めていたその恩師が、「新しい取り組みをするにあたっては自分たちの力だけではうまくいかない。民間の力も必要。」とのことで一緒に仕事をすることになりました。当時は導入が少なかった教員の評価制度の設計です。
その後その恩師は次々と新しいことに取り組み、実現させていきました。強い調子で周囲を圧倒しながら力強く進めるというよりは、気がついたら大反対だった周りの人々が進んで協力しているという印象でした。新しいことをするにあたり、熱心に自らその必要性を説いてまわり、反対意見にも耳を貸しつつ関係者を巻き込むという、リーダーシップのお手本のような動きでした。
新しいことが実現すると、取材や視察の対応に追われますが、その内容を語ることにはあまり興味が無いようでした。次の新しいことを考えているようでした。
その恩師から影響を受けた人は数多く、その恩師について共通して語るのは、「『その話は本当?』『誰がいつ決めたの?』という問いに答えられずに四苦八苦した」というものです。私も「常識的に」「一般的に」といった話をしようものなら途端に詰め寄られました。前提を疑えというよくある話ですが、そこを徹底的に周囲に説いてまわっていました。私たちはその前提のために動かない言い訳をどれほどしていることか!

人の心を動かし、影響をあたえることがなぜそこまでその恩師はできたのか?をずっと考えています。魅力的であったり、知見も豊富でコミュニケーション力もある。いわゆるリーダーとしての要素が詰まっていることは確かなのですが、何かそれ以外にもありそうで。
ずっと見ていて考えたことが一つあります。相手を信じ、期待すること。過去の仕事でも、同僚や外部関係者だけではなく、事務局スタッフにもかなり高い期待をかけていました。いわゆる事務局スタッフは与えられたことを着実に遂行するイメージですが、それまでにやったことのない動きを期待していました。それは私自身にも。私がこれまでしてきたこと以上のことを次々に求められました。なぜだか自然に。そういえば、色んな横断プロジェクトをまわしていましたが、皆一様に当事者と意識が高かったようです。

相手を信じ、期待することは言葉では簡単ですがなかなか難しいです。それを多くの人に分け隔てなくやっていました。そりゃ皆さん影響受けますね。
どうすれば相手を信じ期待することができるのか?これも上記に倣えば、前提を疑うということなのでしょうか。この人はこれぐらいだからとか、こんな人だからとかレッテルやそれに類することを考えないということでしょうか。
アドラーの考えに共同体感覚というものがあります。この共同体感覚に向かうには相手を信頼することが重要だとしています。このあたりの考え方に近いでしょうか。アドラーは同時に目的論についても言及していますが、ここも一つの鍵になりそうです。
その恩師は、実現した取り組みについて、その後も同様に進んでいると耳にすると機嫌が悪くなりました。その取り組みの外形的なものに着目して欲しいのではなく、目的に照らして最善だと思うことに力を注いで欲しいのだと。なぜその取り組みを変えてくれないんだと。その考えもあり、取り組み内容についてあまりその後語りたがりませんでした。

相手を信頼することが私にとっての今後の重要なテーマの一つとなりました。

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エグゼクティブコンサルタント

毎野 正樹

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