先日、ある企業の社員に若い頃の仕事内容について伺っているとき、その方から、当時の上司に「忙しいと言うな」と散々言われたという話をしていただきました。どうやら忙しいなら忙しいなりに時間をつくれ、ということのようでした。
ときどき私たちは、職場で忙しくしている人を見ると「できるから仕事が集中する」「有能だから皆から頼りにされる」と思ってしまうことがあります。今回は、この「忙しさ」について、その背景にある当事者や周囲の感情を少し探ってみようと思います。
スケジュールに隙間がない、遅くまで仕事をしているといった姿を見ると、私たちは無意識に、頼りにされている人、多くの重要な仕事を任されている人、組織にとって必要な人と感じてしまったりします。これは、人の能力は手に取って直接見ることができず、見たり聞いたりすることのできる行動や態度、発言から能力を推測するしかないことに起因しています。つまり、忙しさだけでは能力の証明にはならないのに、能力を示すわかりやすいシグナルとして使われることがしばしばあるのです。
そして、忙しさは周囲が能力を推察する機能としてだけでなく、本人にとって自分の価値を確かめる手段として使われることもあります。予定が詰まっていると「自分は必要とされている」「時間のかかる重要な仕事を自分は任されている」という自己暗示にかかり、忙しい忙しいと愚痴をこぼしながらもどこか安心していたりすることがあります。もう少し工夫をしたり、仕事を選別した方がよいとわかっていても、忙しさを手放すことが自身の存在価値を手放すことのように感じられてしまい、いつまでも忙しさを求めてしまったりするのです。
特に組織を預かる管理職には、そのような傾向が見られることが少なくありません。その理由のひとつとして、組織を動かしているという実感が容易には得られにくいということがありそうです。ともすると、担当レベルの仕事に首を突っ込む、多くの会議に出席する、些細な判断にも介入するといったことで、自分が組織を動かしているという実感を得るといった行為に走ったりします。このように組織人にとっての忙しさは、自己価値認定を行う装置として利用されたりもするのです。
一方、この忙しさには副作用もあります。代表的なものとしては、視野狭窄や誤った判断といったものがあります。すぐに答えが出る選択肢を選んでしまう、過去に行った方法だけで対処しようとしてしまう、中長期的な課題を先送りしてしまうといったものです。この選択肢が最善なのか少し時間をかけて考える、あるいは、これは誰かに任せる方が全体としてはよいのではないかといったことを考える余裕すら失われてしまっているのかもしれません。忙しいから改善できない、改善できないかさらに忙しくなるという負のループに陥る典型的なパターンだったりします。
このように考えると、必要な余白を意図的に作れる人が実は真の有能なのではないかと思ったりします。ここでいう“余白”とは、何もしない暇な時間を指すのではなく、人より少し先のことを考え、重要なことに気づき、質の高い判断をするための時間です。特に管理職やリーダーのような立場にいる人ほど、この余白の意義は案外大きかったりするものです。
この余白は、もしかすると周囲からは何もしていない時間のように映るかもしれません。それでも忙しさという物差しを当てて安心してしまうのではなく、自身が期待されている役割成果を出すための重要な時間と位置付けるべきではないかと思うのです。冒頭の上司の言葉を聞かされたとき、あらためてそのように思いました。
さて、今回は忙しさの魔力について、受ける印象や評価、自己価値認定、リーダーの役割、組織の生産性という観点で執筆しました。

