コラム

COLUMN
Vol.56

メントールはしっかりメンターしてた?

2026/10/01

ノーラン監督の『オデュッセイア』を観ました。3時間。長いと聞いていましたが、どこかで見聞きした覚えのある逸話が次から次へと出てくるので、退屈する暇がありません。知っているはずの話なのに、どこで知ったのかは思い出せない。そういう話が三千年も語り継がれていることにまず驚きます。

こうなるとやはり原典を読むべきだろうと、帰りに本屋へ立ち寄りました。上下巻。読み始めて、今苦労しています。神々の名前と人の名前が入り乱れ、誰が誰に語っているのかを追うだけで一日が終わります。

この物語にメントールという登場人物がいます。「メンター」という言葉の語源になった人物とされており、そういえばこの人かと思い、ここで取り上げることにしました。

映画のメントールは、実によく働いていました。父の顔を知らずに育ったテレマコスの傍に立ち、王位を狙う求婚者たちの脅威から守り、父の消息を探す旅に同行する。答えを教えるわけではない。ただ横にいて、危ないときは身体を張り、迷ったときは一言だけ言う。血の通った、頼れる大人です。なるほど、これが語源かと膝を打ちました。

ところが原典を読んでみると、この人はほとんど何もしていません。

オデュッセウスから留守を任されておきながら、二十年、宮殿を占拠する求婚者たちを止められていません。「お前たちは恥ずかしくないのか」と嘆く場面はあるのですが、それだけ。テレマコスに「もう子供ではない、船を出して父を探せ」と言い、船と仲間を用意し、旅に同行するのは、メントールの姿を借りた女神アテナです。本人ではありません。原典のメントールは、名前と姿を貸しただけなのです。

少し調べてみると、「メンター=導き手」という意味が世に広まったのはホメロスからではなく、17世紀末にフランスのフェヌロンという人が書いた『テレマックの冒険』という小説からだそうです。そこでメントールは主役級の賢者に書き換えられています。そしてノーラン監督もまた、神の化身ではない一人の人間として、メントールにきちんと仕事をさせました。三千年のあいだ、後の人はみな、この「何もしていない男」を働かせたがったようです。

少し考えてみました。原典と映画は、結局同じことの両面を描いているのではないか?

原典のアテナは、なぜ自分の姿で現れなかったのでしょう。神が神の姿で「旅に出よ」と言えば、それは命令であって、テレマコスの意志にはなりません。父の旧友という、若者が「この人の言うことなら聞いてみよう」と思える相手の姿が必要でした。原典が描いたのは、助言の中身ではなく、その助言が受け取られるための土台です。同じ言葉でも、誰の口から出るかで届き方は変わる。そういう関係が先にあって、言葉はそのあとを通っていく。そして映画が描いたのは、その関係の中で実際に動いている「手」でした。横にいる、守る、一緒に船に乗る、答えを言わずに待つ。原典では女神がやったことにされていた仕事を、映画は人間の手に返した。そういうことではないでしょうか。

メンターの仕事は、実はこの2つの要素があるのだ思います。若手が「この人の言うことなら聞いてみよう」と思える関係を持っていること。そして、その関係の中で、目立たない具体的な支援を山ほどやっていること。後者は本当に地味です。日々それとなく見ている。本人が言い出す前に、上司に一言入れておく。失敗したあと、何も言わずに隣に座る。旅に出ると決めたときに、船と仲間を揃える。どれも、成果としてはあまり明確に認識されないことです。

メンター制度の導入では、「誰をメンターにするか」で議論が長引きます。経験が豊富か、育成に熱意があるか、話がうまいか。もちろん大切ですが、この物語に倣えば、問うべきは2つあるようです。その人は、若手にとって「この人の言うことなら聞いてみよう」と思える相手か。そして、その人は、誰の成果にもならない仕事を黙ってやり続けられる人か。評価しようとすると、ほとんど測れないところにこそ、メンターの仕事の本体があります。

そう考えると、新人や若手が目に見えて成長したとき、当のメンター本人が「自分は特に何もしていない」と言うのも腑に落ちます。実際には随分いろいろやっているのですが、それらはすべて、相手の旅の一部として吸収されていく。本人はちょっと声をかけただけのつもりでも、相手には、それまでの関係や積み重ねた時間まで一緒に届いています。「何もしていない」というのは謙遜ではなく、正確な自己認識なのかもしれません。

原典はまだ第4歌。テレマコスは無事に旅立ちましたが、私の読書のほうが難航しています。誰か、船と仲間を用意してくれないものでしょうか。

Editor Info.

代表取締役
エグゼクティブコンサルタント

毎野 正樹

STAFF紹介
関連テーマ
Related